LOGIN王都への道は、二度目だった。
一度目は、一年前の春だった。馬車の窓から城壁を見て、圧倒された。 今回は、ゴードンと二人で馬車に乗りながら、エリナは窓の外ではなく、膝の上の書類を見ていた。 最終報告の骨格の最新版。学院の確認書の写し。王都のデータをまとめたアルバ殿下の側近からの資料。ベルダンの記録書。 全部を、頭の中でもう一度確認した。 「緊張していますか?」 「少し」 「一度目と比べて、どうですか?」 「一度目は、もっと怖かった。でも、もっとシンプルだった」 「今は?」 「怖さは減った。でも、複雑になった」 「複雑、というのは?」 「考えることが多い。一度目は、陛下に会うことだけを考えていた。今回は、フィオナとアルバ殿下に会って、最終報告の場の段取りを確認して、宮廷の空気を自分で感じてくることが必要だ」 「それが複雑さの原因ですか」 「一つではない、ということが複雑なのかもしれません」王都に着いたのは、昼過ぎだった。
城門を通る時、一度目を思い出した。書記官が「アッシュフォード」という名前に反応した。兵士たちがざわめいた。 今回は、書類を見せると、すぐに通してもらえた。 「以前より早いですね」 「顔が売れた、ということかもしれません」 「それは、良いことです」 良いことかどうか、エリナにはまだわからなかった。でも、悪くはないと思った。フィオナと会ったのは、王都の中心部から少し外れた、小さな茶店だった。
フィオナが先に来ていた。 エリナが入ると、フィオナが立ち上がった。 久しぶりに、直接会った。 手紙では何ヶ月もやり取りしていたが、顔を見るのは、王都に来た時に別れて以来だった。 フィオナは、少し痩せていた。 でも、目の鋭さは変わっていなかった。 「来た」 「来た」 短い挨拶。 でも、その二文字に、何ヶ月分かが入っていた気がした。 席に座って、フィオナが言った。 「まず確認したいことがある。最終報告の場は、いつになるかは陛下が決める。でも、残り四週間の間にあることは確かだ。アルバ殿下がそう言った」 「四週間以内」 「そう。具体的な日は、来週の頭に知らされる予定だと言っていた」 「わかりました。それまでに、骨格の最終確認を終える」 「骨格は仕上がっている?」 「ほぼ。今日、あなたにも確認してもらいたい」 「後で読む。次に、宮廷の空気について」 フィオナが、手帳を取り出した。 細かい字で、何ページも書いてある。 「クロヴェルの上奏から、宮廷の反応は大きく三つに分かれている。一つ目、クロヴェルの上奏を支持する立場。主に魔法省と結びついた大貴族。二つ目、慎重な審議を求める立場。学院との繋がりが強い実務派の官僚と、アルバ殿下の周辺。三つ目、どちらにも属さずに陛下の判断を待っている立場。これが一番多い」 「三つ目の人たちが、どちらに動くかで決まる、ということですか?」 「そうだと思っている。その人たちに対して、最終報告がどう届くかが、鍵になる」 「三つ目の人たちは、どういう人たちですか?」 「自分の利益を守ることを最優先にしている。どちらが勝つかを見極めてから動く人たちだ。感情ではなく、損得で動く」 「ならば、最終報告の場で、損得を見せる必要がある」 「そうなる。『アッシュフォード商会を支持することが、自分の利益になる』という構図を見せられれば、三つ目の人たちが動く」 「具体的には?」 「王都のデータが、一番効く。王都の平民街でも同じ効果が出ている。王都の人間が実際に恩恵を受けている。その事実は、三つ目の人たちにも身近な話として届く」 「アルバ殿下のデータを、最終報告の中でどう使うか、殿下に確認する必要があります」 「今日の午後、殿下との面会がある。一緒に来てほしい」アルバ殿下との面会は、王宮の中の小さな応接室だった。
一度目の謁見とは違う場所だった。玉座の間ではなく、もっと小さい、普通の部屋だった。 アルバ殿下が入ってきた。 前回会った時と変わらない、柔らかい雰囲気。でも、今日の目は少し真剣だった。 「来てくれた。助かります、エリナ殿」 「お呼びいただきありがとうございます」 「座ってください。時間は限られているので、直接話しましょう」 アルバが席に着いた。 「王都のデータのことを聞きたいと思っています。最終報告の場で使うために、確認させてください」 「もちろんです」アルバが手元の書類を出した。
「三週間のデータですが、傾向は明確です。平民街の一区画で、石鹸と薬草薬を配布してから、薬屋への来客が二割減った。病欠の申告が三割近く減った」
「この数字を、最終報告で使わせていただけますか?」 「そのために用意しました。ただし、一つお願いがあります」 「聞かせてください」 「データを使う際、殿下が主導したということは、前面に出さないでほしい。あくまで、アッシュフォード商会の商品を試験的に使用した結果として提示してほしい」 「なぜですか?」 「宮廷では、私の動きを面白く思っていない人間がいます」アルバが静かに言った。「私の名前が前に出ると、政治的な判断をされる可能性がある。でも、商会の実績として提示すれば、純粋に数字として評価してもらえる」 エリナは、その判断を一度考えた。 「わかりました。商会の商品の試験結果として提示します。データの出所については、必要があれば確認できる形で記録に残します」 「それで十分です」 アルバが少しだけ表情を和らげた。 「エリナ殿、一年前に玉座の間で話した時のことを、覚えていますか」 「覚えています」 「あの時、私は『大丈夫だと思っています』と言いました。一年経って、大丈夫でしたか?」 「大丈夫でした。大変でしたが、大丈夫でした」 「その区別が、大事だと思います」アルバが笑った。
「大変だが、大丈夫。それがこの一年の形だったのかもしれない」
「そうかもしれません」 「父上は、最終報告の場を楽しみにしています」アルバが続けた。「あなたが来ることを、楽しみにしている。それだけは伝えておきたかった」面会を終えて、フィオナと二人で茶店に戻った。
「殿下、思っていたより正直な人だね」 「そう思いました」 「名前を前に出すなと言うのも、自分の利益じゃなくて、データを純粋に評価してもらうためだから」 「そうです」 「あなたの周りには、そういう人が集まるのね。計算ではなく、誠実さで動く人間が」 「そうでしょうか?」 「そうよ。私も、その一人だと思ってるけど。まあ、私は計算もするけど」 「フィオナは、計算と誠実さを両方使える人です」 「そういう言い方をするんだね」 「本当のことだから」 フィオナがしばらくエリナを見た。 「エリナ」 「何?」 「一年前より、少し変わったわね」 「変わりましたか?」 「変わった。何が変わったかを一言で言うのは難しいけど」フィオナが少し考えた。「前は、言葉が全部、情報か分析だった。今は、たまに違うものが混じる」 「違うものとは?」 「感情、かな。言葉の中に、あなた自身が見える時がある」 エリナは少しだけ、その言葉を受け取った。 「それは、よいことですか?」 「いいことよ、絶対に」夕方、ゴードンが殿下からのデータを整理する作業を進めていた。
エリナはフィオナと、最終報告の骨格を確認した。 フィオナが、全部読み終えて、少しだけ黙った。 「どうですか?」 「よくできてる。一点だけ、気になるところがある」 「どこですか?」 「第一部の書き出し。課題の提示から始まっているけど、もう少し具体的な場面から入った方がいい」 「具体的な場面、とは?」 「例えば、おばあさんの孫の話。手紙で読んだ。その話から入れば、聞く人間が最初から引き込まれる。数字の前に、人の話がある。そっちの方が、特に三つ目の人たちに届く」 「報告書の書き出しに、個人の話を入れることは、一般的ではないかもしれません」 「一般的でないからこそ、印象に残る。クロヴェルは、数字と論理で攻めてくる。あなたは、数字と論理の前に、人の話を置く。それが、土俵を変えることになる」 レインが言っていた言葉と、重なった。 論理の土俵を変える。 「わかりました。書き出しを修正します」 「明日の朝までに見せてくれれば、最終確認ができる」夜、フィオナの父親の家に泊めてもらった。
小さな部屋を一つ、借りた。 ゴードンは別室にいた。 エリナは机に向かって、第一部の書き出しを書き直した。 おばあさんの孫の話から始める。 市場でマリオが聞いた話。孫が病気で寝込む日が減った、というおばあさんの言葉。 でも、その話を報告書に入れるためには、おばあさんの言葉を正確に再現する必要がある。 エリナはマリオが話してくれた内容を、できるだけ正確に思い出した。 『石鹸を使うようになってから、孫が病気で寝込む日が減った。そんな小さい子が、うちの孫のために考えてくれてたのか』 その言葉を、書き出しに置いた。 一人の女性の言葉から始まる報告書。 数字が来るのは、その後だ。 書き終えて、少しだけ読み返した。 前とは、違う書き出しになった。 これが正しいかどうかは、まだわからない。でも、フィオナが言った「人の話がある」という方向は、間違っていない気がした。翌朝、フィオナに修正した第一部を見せた。
フィオナが読んで、一言言った。 「これよ」 「よかったですか?」 「よかった。これで行きなさい」昼前に、エリナとゴードンはルシェムへ帰る馬車に乗った。
フィオナが見送りに来た。 馬車が動き出す前に、フィオナが窓に近づいた。 「エリナ」 「何?」 「残り四週間よ。絶対に越えましょう」 「越えます」 「一緒に越えましょう。私もそこにいる」 「フィオナがいることを、知っている」 馬車が動き出した。 フィオナの姿が、少しずつ遠くなった。 エリナは窓の外を見ていた。 一年前、この城壁を見て圧倒された。 今は、その城壁の内側に、知っている人間がいる。 城壁が、壁ではなくなっていた。ルシェムへの帰り道、馬車の中でゴードンが言った。
「フィオナさんは、よくやってくれています」 「そうですね」 「手紙だけでは伝わらない部分を、今日直接会って確認できた」 「書き出しの修正も、フィオナがいなければ思いつかなかった」 「あの修正は、大きいと思います。数字の前に人の話を置く。それは、私が気づかなかった部分でした」 「みんなが、違うところを見ている」 「そうですね。それが、この一年の強さだと思います」夜、ルシェムに戻ってから、エリナはレインへの手紙を書いた。
レインへ 王都から戻った。フィオナとアルバ殿下に会った。 第一部の書き出しを修正した。おばあさんの孫の話から始めることにした。フィオナの案だ。数字の前に、人の話を置く。 あなたが言っていた『数字の奥に人がいることを忘れないように』という言葉が、ここに繋がった気がした。 殿下が『父上は最終報告の場を楽しみにしている』と言った。陛下が、楽しみにしてくれている。 残り四週間。 一つだけ聞いていいですか? あなたは今、どういう状態ですか? ――エリナ―― 書いて、封をした。 『今どういう状態ですか?』と、最初にレインが自分に聞いてくれた。 今日は、こちらから聞いた。 返事を、待ちたいと思った。 ランプを吹き消した。 エリナ・アッシュフォード、八歳。 王都から戻った。 城壁が、壁ではなくなっていた。 残り四週間。 一緒に越える人たちが、いる。フィオナがルシェムに来たのは、謁見から二週間後のことだった。 予告なしだった。 朝、市場から戻ったマリオが、息を切らして事務室に飛び込んできた。 「フィオナさんが来た」「どこに?」「市場の入り口。馬車で来てる。荷物が多い」「荷物が多い?」「トランクが二つある」 エリナは少しだけ止まった。 「泊まりではなく、しばらくいるつもりですか」「そういうことじゃないか? 迎えに行くか?」「行きます」 市場の入り口に着くと、フィオナが馬車の横に立っていた。 久しぶりに、ルシェムで見るフィオナだった。 王都で会った時とは少し違って見えた。服装は変わらないが、顔が少し違う。 疲れている、と手紙に書いていた。 確かに、少し疲れた顔をしていた。 でも、エリナを見た瞬間、目が変わった。 「来た」「来ましたね、予告なしで」「予告したら、準備されすぎると思って。あなたのことだから、部屋を完璧に整えて、食事まで用意して待っていそうだから」「そうしようとしていました」「でしょう。だから、言わなかった」「荷物が多いですね」「しばらくいようと思って」 フィオナが少しだけ声を落とした。「王都からの仕事は、手紙でできる部分も多い。しばらくルシェムで動きながら、こちらの空気も吸いたかった」「どのくらい?」「一週間か、二週間か。決めていない」「決めなくていいです。いたいだけいてください」 マリオが荷物を運んでくれた。 フィオナが見ると、少し驚いた顔をした。 「マリオ、大きくなった?」「なってないと思うけど、フィオナさんが久しぶりに会うから大きく見えるだけじゃないか?」「そうかもしれない。でも、なんか違う。顔が違う」「どう違う?」「前より、落ち着いた顔をしてる」「そうかな」
翌日から、エリナは動き始めた。 といっても、急いでいるわけではなかった。 落ち着いて、一つずつ。 謁見の翌日以降に何をするかは、帰り道の馬車の中でゴードンと話し合っていた。 優先順位は決まっていた。 一つ目、商会の代表変更の正式書類を処理する。二つ目、各町の現場責任者に謁見の結果を報告する。三つ目、フィオナと連携して規制案の継続審議への対応を続ける。四つ目、学院の衛生教育の検討に、商会として協力できることを提示する。 どれも、急ぎではない。 でも、止まってもいない。 まず、商会の代表変更の書類が届いた。 アルバ殿下が約束した通り、一週間以内に書状が来た。 正式な書類に、エリナ・アッシュフォードの名前が入っていた。 アッシュフォード商会の代表者、エリナ・アッシュフォード。 ゴードンがその書類を机の上に置いた。 「これで、正式になりました」「そうですね」「どういう気持ちですか?」 エリナは少しだけ考えた。 「思っていたより、静かな気持ちです」「静か、とは」「もっと大きな感情が来ると思っていた。でも、静かだった。当たり前のことが、形になった、という感じです」「それが、正しい感覚だと思います」ゴードンが静かに言った。「当たり前のことを積み上げてきたから、当たり前に形になった」「ゴードンさん」「はい」「代表名義をずっと引き受けてくれていた。本当にありがとうございました」「礼はいりません。でも、受け取ります」 それだけだった。 それで十分だった。 次に、各町の現場責任者への報告をした。 マグダ、シェナ、ジルカに、それぞれ手紙を書いた。 謁見の結果。陛下が約束を守ってくれたこと。商会の活動が引き続き認められたこと。今後も続けることができること。 返事は、それぞれ三日以内に来た。 マグダから。 エリナちゃん
ルシェムに帰った翌朝、エリナはいつもより少しだけ遅く起きた。 目が覚めた時、空はすでに明るかった。 珍しいことだった。 いつもは夜明け前に目が覚める。でも今朝は、光が差し込んでから目が開いた。 しばらく、布団の中でそのままいた。 これも珍しいことだった。 起きたら、すぐに動く。それがいつものエリナだった。 でも今朝は、少しだけそのままいた。 窓の外から、ルシェムの朝の音が聞こえた。 市場へ向かう人の足音。遠くで犬が吠える声。風が木の葉を揺らす音。 帰ってきた、と思った。 昨日も思った。でも、今朝も思った。 ここが、自分の場所だ。 台所に行くと、セレーナが先にいた。 「おはよう」「おはようございます」「よく眠れた?」「はい。遅くまで眠っていました」「そう。今日くらいは、いいんじゃない?」「そうかもしれません」 薬草茶を作りながら、エリナは窓の外を見た。 冬の朝の空は、澄んでいた。 「お母さん」「うん」「昨日、ゴードンさんから聞いた話があります」「何?」「学院が、来年から衛生教育を取り入れることを検討しているそうです。石鹸の使い方、薬草薬の知識、傷の手当ての手順を、学院の教育に組み込む話が始まっている」 セレーナが少しだけ手を止めた。 「それって、どういうことになるの」「学院で教えれば、学院の生徒が卒業して各地に行く時に、その知識を持っていく。一人が届けられる場所より、ずっと広い範囲に届く」「あなたが一年でやったことが、もっと広がるということ?」「そうなるかもしれません」「お父さんが聞いたら、何と言うかしら」 エリナは少しだけ考えた。 「『私よりうまくやっている』と言うか、それとも『まだ足りない』と言うか」「この前も同じことを言ったわね」「同じこ
翌朝、エリナは早く起きた。 今日、ルシェムに帰る。 荷物を確認した。報告書の写し。確認書の写し。殿下から預かったアッシュフォード商会の正式な代表変更に関する書状の下書き。そして、セレーナへの手紙。 全部、ある。 朝食を三人で食べた。 フィオナが、珍しく朝から饒舌だった。 「昨夜の話、全部聞かせてもらうって言ったけど」「聞きますか?」「聞く。でも、今は聞かない」「なぜですか?」「あなたの顔を見れば、大体わかるから。今日は、その顔で十分」「どんな顔をしていますか?」 ゴードンが静かに言った。 「昨日フィオナが見たかった顔」 出発前に、フィオナと二人になった。 宿の前の小さな通りで、少しだけ話した。 「フィオナ、これからどうするんですか?」「王都にいる。まだやることがある。規制案はまだ継続審議のままだ。陛下が認めたとはいえ、クロヴェルが諦めたわけじゃない」「そうですね」「でも、今日は違う話をしたい」「どんな話ですか?」「あなたが帰った後のことを、少し考えた。王都に来てからの一年間、私はずっとここで動いていた。でも、いつかルシェムに行ってみたいと思っている」「ルシェムに?」「マリオとルナに、会いたい。あなたが話してくれた人たちに。あなたが動いてきた場所を、見てみたい」「来てください、必ず」「いつ行けるかはわからない。でも、行く」「待っています」 フィオナが少しだけ笑った。 「その言葉、昨夜もレインに言ったでしょう」「言いました」「同じ言葉が、自然に出てくるようになったんだね」フィオナが穏やかに言った。「前のあなたには、なかった言葉だと思う」「そうかもしれません」「いい変化だと思う」 フィオナが手を差し出した。 エリナはその手を両手で握った。
謁見が終わって、王宮を出たのは昼過ぎだった。 アルバ殿下が廊下で待っていた。 「よくやりました、エリナ殿」「ありがとうございます。殿下の準備がなければ、今日はなかった」「王都のデータは、効きましたね」 殿下が少し笑った。「右側の列が、ざわついた」「見えていました」「父上は、満足そうでした。あの顔は、久しぶりに見た。一年前に、『わくわくしている』と言いましたが、今日はそれ以上でしたよ」 エリナは少しだけ、その言葉を受け取った。 「殿下、商会の代表についてお願いがあります」「ゴードンさんから聞きました。昨夜、連絡をいただいた」「はい。正式にエリナ・アッシュフォードの名で商会を持てるよう、陛下にご確認いただけますか?」「すでに父上に話しました。年齢の問題は、特例として認めていただける方向です。正式な書類は、来週中に届きます」「ありがとうございます」「アッシュフォード商会の代表が、アッシュフォードの名前になる。当然のことですから」 王宮の外で、師匠とレインが待っていた。 師匠がエリナに言った。 「一つだけ言っておく」「はい」「今日の発言で、一番良かった部分を教えてもいいか?」「ぜひ」「クロヴェルへの返答だ」 師匠が静かに言った。「感情で返さなかった。でも、感情がないふりもしなかった」 エリナはフィオナが昨日言っていた言葉を思い出した。 「感情がないふりもしなくていい、という言葉を、昨日フィオナからもらいました」「賢い子だ、フィオナ殿は。あの返答には、あなたがいた。数字だけではなかった」「届きましたか?」「届いた。俺には届いた。他の人間にも届いたと思う」 師匠が一歩退いた。 「俺はこれで失礼する。よくやった」「先生、ありがとうございました。一年間、本当に」「礼
謁見の日の朝、エリナは四時間ほど眠った。 眠れると思っていなかったが、眠れた。 目が覚めた時、空はまだ暗かった。でも、もう眠れなかった。 起きて、顔を洗って、薬草茶を作った。 ルナが持たせてくれた葉を使った。 温かい湯呑みを両手で持って、部屋の窓から外を見た。 王都の夜明け前。 ルシェムとは違う空の色だった。でも、夜明け前が静かなのは、どこでも同じだった。 今日、謁見の間に立つ。 もう一度、確認した。 怖い。でも、届けたい。 それだけでいい。 朝食を三人で食べた。 フィオナが、珍しく静かだった。 いつもは何か言う人だが、今朝は食べながらあまり口を開かなかった。 エリナが「どうかしましたか?」と聞くと、フィオナが少し笑った。 「緊張してる」「フィオナが?」「私も人間だから。あなたが緊張するより、私が緊張してる気がする」「なぜですか?」「あなたが上手くいくかどうかを、見ている立場だから。自分が話すより、大事な人が話すのを見ている方が、緊張する」 エリナは少しだけ、その言葉を受け取った。 大事な人が話すのを見ている方が、緊張する。 「フィオナ」「何?」「今日、謁見の間に入れますか?」「入れない。謁見の場に入れるのは、名前がある人間だけ。私には、今は資格がない」「そうでしたか」「廊下で待ってる。終わったら、すぐ出てくるでしょう。その顔を見る」「どんな顔をしていると思いますか?」「わからない。でも、見たい顔をしていると思う」 謁見の前の十分間は、王宮の廊下の一角で過ごした。 フィオナ、ゴードン、エリナの三人。 廊下は石造りで、冷たかった。外の空気が、石を通して伝わってくる。 エリナは上着の内ポケットに手を当てた。 手紙が、ある。 フィオナが言った。 「今日の目標を、一つだけ確







